現在、ハワイ語201を履修している私。
この場に来て、なんか急に難しくなった。
今までは比較的すんなりと理解し、テストも問題なくこなしてきたのだけど、どうも201レベルになって、一筋縄ではいかなくなった。
言語というのは必ずこうでなくてはといったルールがあるとは限らない。それも正しいし、そういう言い方もできるといったように。
日本語でもそうだし、英語だってそう。
母国語でも自分が良く使う単語、フレーズを他の人たちもみんなよく使うとは限らないし。
外国語であったとしても、経験に基づき、自分がよく使うフレーズ、単語というのはある。
きっと英語でも最初はどういう言葉をネイティブが使っているか知らずに、知識だけで話していたと思うけど、だんだんネイティブがどういうふうにはなすのかを聞くうちに自分にとりいれていったりしたと思う。
実際、私が英会話講師をしていたときも、生徒さんたちにこうアドバイスしたりしていた。
「理論では説明できないのだけど、ネイティブの人たちはそういうふうに使うから、そのまま覚えてしまって。」というようなことを。
経験を積めば積むほど、その感覚というのは養われていくのだけど、まだ経験があまりなく、そしてなかなか聞く機会の少ないハワイ語にいたっては、養うための場すら少ない。
だからなのか、ハワイ語がとても難しく感じる。
それに、ハワイ語は日本語と発音が似ているから、簡単!という文句をよく雑誌やらで見るけれど、それも正しくはないのではないのかな。
オキナ(音を切る子音)も小さい ”っ” とは少し違うし、日本語と同じようにすべての言葉に母音がつくけれど、努力しなくてはハワイ語の発音はうまくできない。
ハワイ語は、英語よりは日本語に近いけれど、(英語には日本語には存在しない音がいっぱいあるから。)でもやっぱり日本語の発音とも違う。
それに、文法も日本語とも英語とも違う。
ちょっと比較してみよう。
日本語: 私は あなたを 愛しています。
英語: 私は 愛しています あなたを。( I love you.)
ハワイ語: 愛しています 私は あなたを。(Aloha au iā 'oe.)
ハワイ語は、英語や日本語と違って、動詞や物の状態が最初に来る。
それはハワイ語の世界においては、 ”誰” よりも ”何をしたか” のほうが重要とみなされているからだそうだ。
とにかく、少々壁にぶちあたって、落ち込み気味なのでした。
この場に来て、なんか急に難しくなった。
今までは比較的すんなりと理解し、テストも問題なくこなしてきたのだけど、どうも201レベルになって、一筋縄ではいかなくなった。
言語というのは必ずこうでなくてはといったルールがあるとは限らない。それも正しいし、そういう言い方もできるといったように。
日本語でもそうだし、英語だってそう。
母国語でも自分が良く使う単語、フレーズを他の人たちもみんなよく使うとは限らないし。
外国語であったとしても、経験に基づき、自分がよく使うフレーズ、単語というのはある。
きっと英語でも最初はどういう言葉をネイティブが使っているか知らずに、知識だけで話していたと思うけど、だんだんネイティブがどういうふうにはなすのかを聞くうちに自分にとりいれていったりしたと思う。
実際、私が英会話講師をしていたときも、生徒さんたちにこうアドバイスしたりしていた。
「理論では説明できないのだけど、ネイティブの人たちはそういうふうに使うから、そのまま覚えてしまって。」というようなことを。
経験を積めば積むほど、その感覚というのは養われていくのだけど、まだ経験があまりなく、そしてなかなか聞く機会の少ないハワイ語にいたっては、養うための場すら少ない。
だからなのか、ハワイ語がとても難しく感じる。
それに、ハワイ語は日本語と発音が似ているから、簡単!という文句をよく雑誌やらで見るけれど、それも正しくはないのではないのかな。
オキナ(音を切る子音)も小さい ”っ” とは少し違うし、日本語と同じようにすべての言葉に母音がつくけれど、努力しなくてはハワイ語の発音はうまくできない。
ハワイ語は、英語よりは日本語に近いけれど、(英語には日本語には存在しない音がいっぱいあるから。)でもやっぱり日本語の発音とも違う。
それに、文法も日本語とも英語とも違う。
ちょっと比較してみよう。
日本語: 私は あなたを 愛しています。
英語: 私は 愛しています あなたを。( I love you.)
ハワイ語: 愛しています 私は あなたを。(Aloha au iā 'oe.)
ハワイ語は、英語や日本語と違って、動詞や物の状態が最初に来る。
それはハワイ語の世界においては、 ”誰” よりも ”何をしたか” のほうが重要とみなされているからだそうだ。
とにかく、少々壁にぶちあたって、落ち込み気味なのでした。









